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「隠された十字架」 梅原猛

十字架

だいぶ以前に途中まで読んでそのままにしておいた「隠された十字架」ようやく読み終えました。

長いということはないのですが、読みにくいのです。

哲学者の「エッセー」である以上致し方ないのでしょうが、梅原猛氏の文体がどうも好みでないという自分の嗜好の問題で途中で投げ出していました。

この書だけが契機となったのでは無く、むしろ豊田有恒氏の「聖徳太子の悲劇」がそもそもの発端になっているのですが、日本が国家として今につながる体制が出来上がりつつある時期とその直前に関する「事実」をどうとらえるのかに関しては、自分としては興味深いものがあると感じています。

何しろ考古学的な資料はあるが、文献(古事記・日本書紀等)が残っていて、刑事ドラマでいえば「証拠」も「供述」もある状況なのに、調べれば調べるほど迷宮入りに近づき結末が見えないのですから、面白くなるのは当然です。

上山春平氏と梅原氏ともに哲学者あるいは哲学をベースにした学者が、ともにこの時期に関して有名な著作を上梓しているのは、青年期に戦中戦後を過ごされたことと無縁ではないと思います。

戦前のというよりも明治薩長政府による皇国史観に関して、京大で学ぶ知性を持った青年が頭から信ずるはずがないと前提してですが、戦前戦後の価値観の激変に対して何ものかを表出する衝動が、この時期に関する考察に向かったように思います。

80年ほどの時間をかけて熟成された歴史観・価値観が一気に否定されて、隠されていた事実・・・例えば皇統内での生々しい権力闘争や臣下との相克・・・を大っぴらに議論できるようになった時期に、哲学者が専門外ともいえる歴史認識を表出したことは偶然ではないのだろうと思うわけです。

最近、役所で官僚が作成した「メモ」が取りざたされていますが、いうなればそれは「考古学的証拠」で、官房長官やら政務官の記者会見が「歴史的資料文献」になっていくのかななどと想像すると面白いです。

まぁ、あと1000年後も「日本」があるとすればの話ですから、鬼も笑いようがないでしょうけれど。

過去に関しては、残された証拠や資料でゆっくりと考察して判断していくことは可能ですし、それによって将来が変化することはあまりないです。

現在起こっていることは、当然過去からの線上にあるのですが、将来起こることは現在行っていることと準備していることで変化するのであって、過去に起こったことではないのです。その現在で起こっていることの事実の把握と判断に苦労したり、時には楽しみを見出すのが生きていくということなのかもしれないです。

現在を把握し判断している自分の立っているところを理解することが、なんだか一番難しい気にされてしまう「エッセー」でありました。

それにしても、奈良京都に修学旅行で2回行ったのに、湯豆腐で一杯と遊園地などという、今となってはとてももったいないことをしてしまったので、来年以降30数年ぶりにゆっくり行ってみたい気がいたします。

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