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「漢民族に支配された中国の本質」 三浦 小太郎

ハート出版

アイキャッチは著者Facebookの物です。

最近何かと話題の中共ではなく漢民族に関して、長野朗という人物の著作を読解・紹介することで著者の解釈・見え方を記述した内容。
もともとの長野朗を知らない自分からすると、原典読んでないから引用された部分をそのまま解釈するしかないし、どこまでが本書の著者の主観なのかはよくわからないというのが前提。

本書の著者も不勉強で存じあげていない人でありました。例によってなんで本書を借りたかあまり覚えてないのだが、多分雑誌の書評か記事の中に出てきたのでありましょう。

僕は自分でも中国人と中共は分けて記述するようにしているが、本書を読んでみると漢人と書くべきなのかとも感じた。中国史に詳しいわけでもないので身近に触れることの多い中国から来た人は、報道される中共の政権の印象とかなり違うなぁと思ってはいた。
仕事での出会いがほとんどだけど、何しろ優秀な人が多い。国外で仕事するのだから、国内の言語2つ(ほぼ外国語みたい)と日本語英語ぐらいは当たり前に使いこなしてるし、そのわりにそれを特別なこととは思ってない雰囲気。わが島国のかなり優秀な人でも4か国語OKな人は少数だと思うけど、全然普通ってすごい。現実的でことにあたっての処理能力とエネルギーがすげえというのが印象。

「民族」をどう定義するかは非常に難しい気もするが、東アジアで民族というと五族協和は教科書出てきた気がするので、和・韓・満・蒙・漢だと思ってたが、本書読んでだいぶ違うな認識した。
中原から見てあとは全部蛮夷なので漢人とそれ以外の多種多様な民族なんだろうな、中共にとっては。

先日読んだのがトッドの「第三次大戦はもう始まっている」 だったのもあるけど、大陸の民族意識は僕たちには少し認識しずらいかもしれない。
日本でも東北と九州じゃ別な民族のような気もうするが、血統的には近く、むしろ畿内は人類学的には縁遠いとか聞く、まあ同じ日本人(民族)だよねってのはある。
大陸から見て辺境の地である国土は掃きだめ(いや行き止まりか)なんでこれ以上先はないよという意味で権威と権力の二重構造をあいまいに受容する風土が生まれた気がしてるが、隣り合って生活習慣も生業も異なる種族がいると、相当強い統制・権力が生まれやすいとは思う。権威と権力は同一化しなければならないので、宗教的な権威は強化されなかったのかもしれない。
仏教もキリスト教もなんとなくかの国では主役になってない。

強い権力が常に中原を争ってきたからこその人々の個々の強さはあるのかもしれない。
現在の政権を担う中共も、権威を失ってしまっては権力が危うくなるからこその行動原理は、そこかしこに見られるのも個々の人々の集合・民衆(政権の言葉遣いであれば人民)を恐れるからだろう。

強大(膨大か?)な漢民族が勢力を他民族・主として北方の農耕民族に服従せざるを得ない時期があったのは、私見では機構のせいだと思っているが、そのあたりは本書では当然触れられておらず、漢民族の特性にフォーカスしているのは、原典の著者である長野朗が触れていないためだろう。あまり気づいてない気もする。

漢民族がその人口圧力で同化してくるのはなぜなのか?という問題は本書読んでもよくわからない。
おそらく中華思想で優越している意識がそうさせているだろうとの解釈と僕には読めたけれど。
ある意味究極のレイシズム。ナチス化するのは自然なのかもしれない。
中共が権威的であらねばならないのも必然で、漢民族が長い歴史風土で中華思想をはぐくんできたのも必然であれば、どうなっていくかは想像できる。

かの国の抱える人口構成の問題、人口増大に伴う食料・エネルギーの問題は時限爆弾になっている。
長い歴史で他国からの挑戦で倒れたことがないのは民衆であって政権ではなく、政権を倒してきたのは民衆だということを思い起こさせる内容でありました。
原典にも興味が引かれるので今後何とか食らいつきたい。

☆3

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