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死生観

八田

wikipediaより 記事は時事通信

 

これまで霊園事業者に土地を購入していただいたことがあります。

山林を墓地にしたのですが、霊園は開発の許可条件がいろいろ厳しくて、土地全体のうち分譲できるのは半分もないです。

必要なものだし、住居系の不動産の取り扱いとはまた異なる経験でいろいろ勉強になりました。

 

先にオープンした霊園の拡張に関するお手伝いもしましたが、地権者の方もまたいろいろで、これまた勉強になりました。

 

霊園事業者の方にうかがったのは、最近の傾向は「樹木葬」が人気とのこと。

確かに都心近くで新たに墓所を入手する際に墓石費用はかなり大きいですし、墓石を置くスペースとして考えると永代供養料も結構かかります。

 

 

ビル形式の納骨施設は維持管理がいつまで継続されるのか不安がありますし、まあ空中に自分の遺骨があるというのも本能的になんだかいやだということもあるのかもしれません。

 

樹木葬の場合、個別の墓石はないですし(僕の関係したところは墓銘碑的なものは設置されてました)、維持費もほとんどかからない、それとまあ最終的には土に還るてきなことが、少子化で墓守なんて概念が難しくなってきてる状況にはあってるんでしょうね。

 

 

おそらく、庶民の代々の墓なんてものは江戸時代の政策として、檀家制が進められ、寺が今でいう戸籍管理をするようになってからなのかななんて思ってます。

 

通常の不動産取引では、たった一度だけ住宅の立っている土地の地目が「墓地」だったことがあります。

地目変更しても、重要事項では必ず説明しますから嫌な人は嫌でしょうね。

 

 

 

台湾で灌漑に功績のあった、八田與一の銅像の首が切断され、元議員が自首してきたってことです。

 

今回の事件のはよく動機とかわからないのですが、日本でお地蔵さんとかの首を折ったりする不届き者はほとんど「いたずら」ばかりのようにおもいます。

人物の銅像の首を切るという感覚は、日本人的ではないなという感想です。

 

墓地に住むということに対する抵抗感は、なんとなくそこに死者の臨在感があるからだと考えます。

そこで亡くなった方がいたという現実論では都内特に城東なんて、近くは震災に空襲遠くは江戸の大火で、住むとこないですよね。

でも墓地というのはそこに埋葬されているという事実がありますから物理的には何ともなくても気にはなるということでしょう。

 

 

銅像というのはまさにその人の形をしていて、多くは顕彰のために建立されているのですから臨在感は墓所より大きいかもしれないと思うのです。

 

その首を切断するという行為は、何らかの政治信条に基づくものだとしても我々島国で暮らしてきた人間にはなかなかできないことで、とても大陸的な行為のような気がします。

 

 

台湾でこのようなことが起こったことの、そしてそれをすぐに修復しようとしていることの意味は深いと思います。

 

 

 

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