今年2月に父が他界したのでこの夏は新盆ということになる。
父は、しばらく特養や老健施設にいて、結局たおれてからは自宅に戻れなかったので遺骨は納められるタイプのものをもとめて、しばらくは自宅にいさせようと思っていた。
急転直下、自宅すぐそばの生麦山龍泉寺 (同級生がご住職である)が永代供養墓「慈光」を開設されていることを知り母がすぐに申し込んだことは以前書いた。
とはいえ1周忌で納骨を考えているので、今のところ物理的には父は自宅の仏壇の中にいるわけで、そうした状況で新盆は何するのか困ってしまっていた。
ご住職が同級生というのは良いもんでメールでお尋ねしたら、懇切丁寧に教えていただけ準備中です。
今はよくしたもんで新盆セットと叩くとアマゾン様がいろいろバリエーション豊富に提示してくれる。
いろいろ迷ったけど狭いマンションにはこんなもんかと。
炮烙皿も別途頼んで形だけは迎え火送り火やってあげようと思ってる。
お寺では7月9日に大施餓鬼法会を行うとのこと
昨年はこんなだったそうだ
納骨前だが塔婆をあげさせてもらうつもりでお願いした。
何とも不思議なものでそこに物理的には存在するが、観念的にはあの世にいて還ってくるという考え方。
世間並みのことはしておきたいという気持ちがあるというのは自分でも驚くが、それだけ年を取ったということかもしれない。
儀式や形式というものを人は作って、そこに自らはめ込むことで安心するのかもしれないな等と納得する梅雨空である。
マンションのような共同住宅に住んで、菩提寺というものも特にないような都市流浪民としては旧来の慣習を固守する気はないのだけれど、かといって死者にたいして無関心というわけにも行かない。
これからの超高齢化する都市では問題がたくさん起きるのだろう。
2018-06-24