お花見的な散歩@鶴見花月園公園20250406

なぜか新年度のくせに忙しい、珍しく。寅さんのせいなのかもしれないなどと思ったりするが、たまたまだろう。雨ばかりだし、みな忙しくしてるし、お花見の旗振り役産休中だしで、話も出ない。
せっかく咲いてくれているこのを愛でないのもなんだし、バアサンに至ってはあと何度見れるかあわからん今年卒寿。寝不足ではあるが午前中は張れるとの予報を受けて、花月園公園まで車いすのせて連れて行った。わずかな時間だが外気にふれて、まだかつての競輪場時代のサクラとは比べるべくもないサクラの若木みて、多少気がまぎれたかもしれん。つい一昨日バアサンの姉がなくなったと従兄から電話きて落ち込んでいるかと思ったのだが、まあ何とか大丈夫だった。

サクラが咲くとなんとなく気持ちが軽くなったものだが、このところそうでもない。いいろいろなことが積みあがって、ああそうなんだという感じ。
長い時間をかけて、桜の時期が季節の区切りにしてきたのは、農耕のゆえだとか聞くが、ソメイヨシノは江戸時代につくられたんだろ?とか思ったり。
それでも春が来て、日々が過ぎていく感覚が生まれ育つ中で染みついたものなのだろう。

たいして変化のない日常ではあるが、意図しない変化は確実に起きている。
科学技術がどんなに進化しても、多分千年前と人のココロはたいして変わってはいないのだ。
トコトコ歩く子供、凧揚げしている小学生、車いすのバアサン、はたから見れば老人のおっさん。
サクラと公園と、少しゆっくりした時間を共有したのでありました。

争うことなく過ごせば幸せなのにね。

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