
お寺へ行く日なのだが、前日からのリスケで予定が入る可能性があったのと、午後リフォームの契約書をいただかないといけなかったりで、いつ行くのか?お昼でしょ、と昼過ぎに行ってきた。
お彼岸すぎでも合祀のお墓は常にお花が上がっていて、なんとなく安心する。
龍泉寺には住職住んでるし、歩いて5分くらいだしで、信仰心というものはないが、先に逝った親族を想い、自分を少しだけ振り返るには、やはり霊園というより寺がいいかと思う。
ほかの地域知らないけれど、僕のところの近所はバス停が連続してお寺が続いているくらいの密度である。総持寺前は別格としても、東福寺前、最寄りの柳町、安養寺前でその間に龍泉寺がある。
東福寺の元境内地になるのか知らんが、総持寺と東福寺の間に朝陽山八幡宮があり、龍泉寺の境内角に庚申塚があり安養寺の先に杉山神社がある。朝陽山八幡宮は普段は入れないが、その先から杉山神社までバス通り歩いて20分くらいで、その間に寺が3つに神社が2つある。おそらく室町時代頃からこんな感じの海辺の漁師町だったのだろう。
神社仏閣は旧来の地形を考えるときに位置関係が興味深い。僕自身は物心ついたころから岸谷に住んでいるのだが、途中よそに行っていた時期もあり、子供のころとは街並みはかなり変わったが、道路と神社仏閣は変わらない。
街並みの変化で大きいのは、社宅がほとんどなくなったことは大きい。
かく言う自宅も元は東芝関連会社の社宅であった。今は一戸建て並ぶところもキリンビールの社宅であったし、パークハウスになったところも日東高圧の独身寮であった。
そして、その昔の別荘地の名残的な邸宅がたっているのも特徴で、大谷石の石垣が高く積まれて独特の風情が今でも少し残っている。中でも割と目立つ大きなお屋敷が解体されて5件分譲になるようだ。もう少し広いと思っていたが500㎡くらいだったのかもしれない。
まだ数軒、大谷石の邸宅が坂道沿いに残り、そのほかバス通り沿いにタダでかいだけの屋敷も別にあるが、いずれ細分化、再建築されるだろうし、そもそも大谷の石風化進んで危ないしで、横浜式垂直擁壁が目立ってきた。
あれ好きではない。
間知ブロックならまだしもRC打ちっぱなし垂直2メートルの壁はどうもね。自宅マンションも一部RC擁壁なんだが垂直ではなく、大半は大谷石である。崩れたらヤバイと思うけど見た目はこっちのがいい。
それはともかく、擁壁・造成工事終われば売り出されるのだろう。お仕事柄価格は気になる。
そんなことより自分の空き家の修復何とかしなきゃいけないのだけれど。