サクラようやく盛り@鶴見20250411

郷の帰宅時間はまたもや雷鳴と強めの雨で、歩道にサクラの花びら散っていたが、傘忘れて濡れて帰っ春雨だし。まさか二日続けて雷とか思わなかった。
自宅近のサクラはなんだか開花がおそかったような気がしてる。
花月園公園の旧弁天池、今は野球スペースのサクラも、造成から残されている山のサクラも今更満開のような色合いでありました。

僕はと言えば、このところの少しの忙しさで疲れてしまってなんだかぐったり気味で、調子よくない。
やることに追われて考えてうごいていない感じ。よくない傾向である。
中旬すぎるともう大型連休を意識した進行になってきてしまって、ますます時間足りない感じになるのではないかと気が重い。
来週以降、時間うまく使わんといけないのに、ついつい本を読んで時間がたってしまう。
今更ながら、そうだったのか的な知見が増えて面白いのである。

トランプの件もあって、陰謀論とか少し関心高くなって読み散らかしていると、これまであまり意識しておらず、史実と認識していたことも少し違う側面があることが興味深いのだ。
DSとかイルミナティとか、まあそんなところにたどり着く思考回路はどうなっているのかとか、そう呼ばれて仕方がない一定の思想というか方向性をもった人たちの存在とか、戦後80年経ってみな亡くなって閉まったからそろそろいいよね的な面もあるだろうけど、従前からそんなことは調べればわかったろうにという面もある。

わりと単純に考えるたちなので、なんでそうしたんだろう?とか考えてします。
日本人は多分1万年以上の孤立があって、原始的なまま来ているんだろう。
桜が咲いて喜んで、飲めや歌えやってのはそういうことなんだろう。
今年の長いサクラは気分はいいものな。

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