テキストの効用と限界@鶴見20250328

NHKの放送100年関連の番組録画で観ていて、なんとなく腑に落ちるところがあった。

Bundesarchiv, Bild 183-1989-0821-502

用件をつたえるだけでビジネス含めて世の中が回るなら、テキストだけでいいはずなのに、なぜかしら人は「対面で会って」話さないと真意が伝わらなかったり、誠意がないと怒ったりする。そのせいか知らんけどビデオ通話とかができるようになると、どうしてなのか使いたがる。
タバコ吸いながら短パンアタマぼさぼさでお仕事している人間にとって悪夢でしかないのだが。

音に対する脳の働きはかなり原始的という専門家のことばがあった。おそらく聴覚もそうだが視覚も同様だろうと思った。両者ともその能力がない人は割りとほかの感覚の能力がすごく高いことがあるように思うのは、基本的というか原始的能力のための脳のリソースが他の能力に回っているのかもしれない。文章でコミュニケーションとるのはそうした原始的能力の上に構築されたものなのだろう。
確かに生まれてわずか数年で言葉が話せる能力が身につくのは聴覚・視覚によるところが相当にあるに違いない。

我々の世代以降は物心つき始めたころからテレビが当たり前で、動画でヒトが話しているのを受容してきている。最近はPCそしてスマホの動画が情報源になっているのが当たり前になっている。いずれも基本的な利用に関しては無料で内容を利用できる。そこにはスポンサーの意向が強く反映されるのは当然で、変更してるじゃないかなどというのは野暮なのであります。
そのことをいかに意識させないかが多分腕の見せ所なんだろう。

原始的な機能であるがゆえに情報の受容に関してのハードルは低めのだろう。
だから「会って」話すことの方が電話より内容が伝わりやすし、ましてメールなどよりははるかに濃いということになる。
望むと望まないとかかかわらず、脳に入ってしまう情報を取捨選択するのは少し上位のはたらきだろうが、脳は不足している情報を過去の記憶で補正してしまうらしいから、その記憶をいつも最新にしておかないとおかしなことでも受容してしまう。

お仕事でのやり取りを全部テキストでできるようになればいいなと個人的には思っているがそう簡単じゃない。よくも悪しくも原始的な能力から逃れることはできないんだよね。
テキストで情報入れる作業を老眼にあらがってやるしかないね、いろいろと。

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