一区切り@鶴見20240714

 先日の施餓鬼法要に続いて、月命日なのでお寺へ寄る。
お盆なので花がたくさんで、妙に賑やかである。日曜日ということもあり人も多かった。
毎月お寺へ行けるのも近いからなのだが、ひっそりと確実に永代供養墓を設けるお寺がほとんどになっているように思う。近隣で永代供養墓のないお寺探す方が難しい。
 実際のところ、家族の形も変わり、代々の墓所を守っていくのは経済的なこと以外でも大変だからだろう。皇室の例でも少子化は家の存続と言いう意味ではなかなか大変だ。現在の大河ドラマの時代のように一夫多妻の時代でもないし(むしろこの時代の方が女性の社会的実力は今より高いかもなんだけど)、夫婦別姓認めないこともあり、代々の墓守るのますます困難になってる。
 僕の知る限り普通の家(古い農家などね)で古いお墓でも江戸時代の中盤以降からという認識。
平安時代は無位のものは墓作ってはいけなかったはずだし、その頃は死穢を恐れて、亡くなった途端に穢れとして捨てちゃったと、井沢大先生が書いてた。律令で墓作っちゃいけない時代の後、武士の時代になっても庶民は墓なんて作ってたのか知らん。
おそらく江戸中期、檀家制度と暮らしの安定が重なったその家の墓所という認識が定着したんじゃなかろうかなどと思っている。

日本列島1万年以上の歴史で、庶民まで代々の墓なんて言っているのはせいぜいここ3百年くらいだろう。つかの間の習慣でもその時代に生きていれば当たり前みたいになってる。ヒトの自由な移動と生活の高度化があっという間にその習慣・あたりまえを替えていくのだなぁと思っている。

それでも、先に行った人をしのぶという行為は人間には必要なのだろう。
祖先崇拝も自己の存在を考えたらそりゃそうだということにはなる。
長いようでたいして長くもないこの世での存在より、永遠とかにあこがれるのはあるのだろうな。

ともあれ、7月の主たる家のことはこれで一区切り。
お仕事上の問題が発生している案件があるが僕にはどうにもできない。
できることをできる限りやる。それだけ。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました