
不動産は一般論でいえば新たに土地を増やせないという意味で生産することはできないと思っている。
建物は不動産ではないという見方は常に持っているから、その意味で住宅は不動産と動産の組み合わせであります。
もちろん戦争して領土を増やすというのはあるだろうし(人の土地奪うだけ)、火山や地盤の隆起で土地が増えることもあるけし、埋め立てで開発することもあるけれど、普段で考えれば例外でしょう。
宅地造成という行為は形質を変えているだけで、そこで用いる擁壁はやっぱり不動産ではない。
いつか滅失する資材がなければ成立しない土地はその分何もしなくていい土地より価値が低い。
さらに、自然の力によって土地に何らかのリスクがあればその分価値は相対的に下がる。浸水もそうだし雪害や風害もそうだ。日照が悪い土地より住居用であれば日当たりの良い土地が評価は高い。
水害の恐れのある場所よりない方が使い勝手はいいだろう。
土地がなければヒトは活動できないから、有効に利用できる土地は価値が高い。
建物はいつか壊れる。設備も同じで期間はより短く陳腐化し老朽化する。
顧客に適切な物件を紹介したいと考えるときに、常にそんなことを考えている。
いいものは高いのである。そして土地ほど比較対象され検討されつくしたものはないので以外にその価格はシビアに決まってくる。当然市況による影響は受けるけれど。
とはいえ、自分からみて最善は必ずしも最善ではない、という当たり前のことを昨日今日で思い出している。顧客の立場に立って、というおまじないを唱えていたのは30年も前の話だが、それを突き詰めて、後悔しないようにしてあげたいという思いが、空回りすることはある。
何故なら僕は顧客そのものではないから、当たり前なのだ。
おかれた状況を完全に理解することなどできないし(するようにはしているつもりだが)、時間的猶予も共有するのは割と困難だったりする。面談して話し込めば相当程度理解できるのだが、そこまで行っていないと、顧客にもこちらの立ち位置理解できないだろうし、こちらも同じなのだ。
そんなわけで、少しどよんとした気分にはなったが、経験値的には後輩の経営者の言葉は役に立った。
ビジネスとして割り切るしかない。いいか悪いか決めるのは顧客だし、その責めを負うのも顧客だと思うしかない。
まあ、確かにそうだ。
そうではあるが、間違えた時のリスクを減らすのも僕たちのお仕事と思っているので、つらみはある。
それでビジネスのチャンスを逃すか、自分の精神衛生上のリスクを減らす方を選ぶか。
難しいところであります。