
元旦の朝に三浦富士へ行かなくなったのはもう5年くらい前だろうか。COVID19の影響で京急の初日用の特急の運転が取りやめになっていくすべが無くなって中断してからだ。
それ以前はあまり寝ないで出かけていたし、行かないときも花月園公園までトコトコ出かけていた。昨年バアサンにベランダから見えるけど何か?みたいなこと言われて気づくまで部屋から日の出見えてる事意識していなかった。鶴見つばさ橋のやや東寄りに遠望される房総半島の向こうに陽は登るのでありました。そう思うと別に行かなくてもいいんじゃね?朝少し早く起きれば見れるしなんて思ってやすむから起きた時にはとっくにお日様は高く昇ってしまっているのでありました。
そんなわけでゆるりとした元旦の朝は、バアサンに食事を奉るところから始まり、杉山神社へ初詣、龍泉寺で新年の加持祈祷のコースをたどり再び昼の食事を奉るという経緯で過ぎていったのであります。
今年は杉山神社の階段を登るときふと思い出したのだが、バアサンに連れられて七五三に着た記憶である。なぜか覚えているのは普段着もいいところで、お参りしてプラスチックの貯金箱もらったこと。60年近く前のうっすらとした記憶である。つまり最初の神社の記憶は杉山神社であり、神主にお祓いをしてもらったことは覚えているのであります。
階段上った記憶はないが、拝殿の中に入った記憶はある。僕の場合は母親が里帰り出産なので出生地は会津若松だが、亡父が本籍も鶴見にしてしまっていたし、物心ついたときにはいまだに空家として残存している小さな家に住んでいたので、氏神様という感じはやはりここだななんてこと考えつつゼエゼエとたどり着いたわけである。
下のバス通りから高低差訳30mあるので10階建てくらいの感じである。
お札をおただいて、少し遅れて龍泉寺。お護摩はお願いしてあるので後ろの方に座って、ご本尊の不動明王真言や加持祈祷を聞いて、お札を受けて帰宅。お護摩では願文は名前と内容を唱えているので、地元の方の苗字が結構続く。ほとんどの願いは身体健全・家内安全で、まあそうだよなとか思って聞いていた。
5歳の記憶もついこの前のような気がするが、もう半世紀以上前。お寺で無縁となった墓石の供養を見ると2世紀くらい前。神社の鳥居は86年前の寄進。お寺は室町時代位に創建らしいので600年くらい前、神社は8世紀で1300年くらい前。長く感じる人生もあっという間だし、歴史の中のハナシもそう遠いことではないなというのがこの正月の所感。
何事かを成すことは難しいが、何事もなく世の中を紡いでいくのも簡単ではないよな。
今年も一年健康で過ごせること祈ってお加持を受けてきた。
日本武尊が杉山神社の祭神で、摂社のある稲荷神社は倉稲魂命、龍泉寺は不動明王、それに一度にお参りしてくる感性が日本人の宗教観で、何でもありなのは一神教の世界観とはかなり異なっているのだろう。おそらく自然災害の他に恐れるような敵としての人間が長いこと居なかったからではの世界観なのだろう。
まあなんとなくそれでいいのでは、と思うのだけれど。




