少しずつ@鶴見20240517

歳とともに日常何があったか記憶が定かでなくなっ来る。昨夜の夕食何だったのか思い出すのが厳しいことが増えている。
同じことを繰り返して話してしまうのも覚えていないからだろう。バアサンに同じ話をされてイライラしている自分がおそらく人には同じことをやっているのだ。
駅の階段歩くときも気づけば若い人と比べて明らかに遅い。
老化というものは気づけば去年とすこし、5年前は全然違っているというものなのだろう。

高校時代の中の良かった友人がすでに二人旅立ってしまったが、おいて行かれたものとしてはこちらにいる間はあまり人に迷惑かけずに過ごしたいとは思うが、少しずつおっさんからジジイに移行しつつある。

あまり現役続行で若い人に迷惑かけても申し訳ないが、そもそも若い人が減っているので、いろいろな意味でまだまだやらなくてはいけないのだろう。

京急社宅跡地のマンションの躯体工事がほぼ完了してきた。来年の春には竣工して約100世帯の若い人が住むことになる。自分の住んでいるところも、最初のオーナーが少しずつ減ってその子息や孫の世代が済むようになっている。

緩やかな変化がいいことなのかわからないが、いろいろと少しずつ進んでいるのであります。

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