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復活の道@鶴見花月園公園20230315

京急岸谷社宅跡地もいよいよ着工したようであります。
先日説明会があったようで竣工は5階建てなのになぜか再来年って長すぎねえか?
土地がタダ同然といってものんびりしてるなぁ、などどうでもいいが花月園公園の工事もなかなか完了しませんけどなんで?
メインの京急側の造成は佳境に入っているようでスロープの架け替えもなんとなく終わっていていて、駅からいったん下がるスロープ作ってまた上がるとか馬鹿なの?という個人的意見はともかく、バス通りから目もくらむような坂がエスカレーター作るかもしんないという淡い期待を残しつつ完成が近づいているような気もする、確定申告締め切りの日でした。

一昨日申告終わらせたので、お寺さんへ寄って普段上がらないほうの坂道(貝助坂といいます)を上って花月園公園方面へ抜けられるか久々にトライ。あやっぱり駄目なのねわかってだけど、造成のほぼ終わった12m道路方向への感じが見られてよかった。
もともとは室町時代までさかのぼる地元の旧家である関口家の一族貝助さんの家があったらしい坂の名前の由来。僕が物心つくずっと前から花月園によって道は寸断されていたが、この度ただ広いだけの公園になることで復活して、岸谷三丁目の高台に通じることになります。昔はここ歩いて東台とか上がってたらしいが、東台小学校に岸谷公園経由通った身としてはさぞ大変だっただろうと思いめぐらせます。ちなみに関口家の末裔さんには一度バイトで来ていただいて机並べてエクセル入力してもらったりしておりましたな。

歴史かおる貝助坂には近くに前田青邨の洋館やら今はもうないけど長谷川時雨の母親の旅館など、今は想像もつかない文化人の住む別荘地だったのであります。そりゃあんな急斜面に当時住むと思う人は変わった人しか住もうとは思わんでしょうけどね。

ところが上の写真をよくご覧いただくと文化の名残のようなものが・・・

バンクシー      のわけないよねw
いろいろあるけど歩くと少し落ち着く。
明日からまた少しハードになる。頑張ります。

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