情報の確度は難しい@大井町20241226

学生であった昭和の時代と比較すると、情報の量も質も大きく変わった。
自分の書いたメモのような内容でもインターネットの流れに放流して、時には人の耳目を集めることも可能になり、そこでは対してチェックはないし、費用も大して掛からない。
テキストと画像の情報が主で、リアルで情報を取るためには対面しかない状況も動画配信が中心になって、テレビは今は単なるショッピング情報垂れ流すだけになってしまい、情報源としてのっ信頼度は見る影もなく低下してしまった。

テキストによって情報を取得した場合、そこには想像力が必要になると思うが、動画では想像力が働く余地が数無いのではないかと思っている。実際に人が話しているのを見て、それを疑って受容するということに人間は慣れていないように思う。
だからこそ、お詫びは対面でする方が効果があるし、説得するのも対面が重要だ。
テキストでやり取りしていると、矛盾や不整合はごまかせない。話したそばから消えていくと、印象で判断する傾向が強くなる。

情報に接する量も膨大になっている。ビデオの倍速再生ではないが、おそらく数十年前の状態から見れば幾十倍にもなっていて飽和しているように思う。
その中から何を受容してどのように判断するかが問題なわけだけれど、飽和していることにすら気づいていない場合もあるのではないだろうか。
テキストデータをつなげていくと「わかっていないこと」「判断できないこと」がありすぎて飽和していると感じるタイミングがあると思う。それゆえ専門の範囲ができて深化していく。不明な部分が保トンであるとの前提無しで、誰かがこう言ってましたってのがやたらと多くなっていないか。

フェイクとかファクトとか、簡単じゃないと思う。

まあそんなことを感じさせられる世情であります。

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