早いものだ@生麦山龍泉寺20250214

今日は父の祥月命日でありますので、お寺へいく日。
昨日の強風はおさまり、朝からと思っていたが、ややお仕事バタついて昼くらいになってしまった。
亡くなってちょうど7年と思うと時の流れの速さを感じる。
亡くなる前に特養にお世話になっていて、その前は老健施設、その前は東部済生会病院で、4年近く転々としていて家には結局帰れなかった。
最初に(でもないが最後の入院生活の前は)倒れたのは病院であった。僕は川崎の現場にいて、父が鶴見の病院から救急搬送される前に東部済生会についていた。
徐脈で倒れたとのことで、数日入院とのことだったが、入院中に脳梗塞起こして、また呼び出された。
医師からは手の施しようがないといわれて、諸々手配必要だなと思っていたら、血栓が消滅して生き残りやがった。医師からお原因不明だが命の危機は去ったけど麻痺は残るだろうとの宣旨が下されてしまった。

バアサンが年齢的に介護なんてできるはずもないし、僕もお仕事しなければ生きていけないのでどうしようとは思ったものの、病院のソーシャルワーカーさん、お世話になっていたケアマネージャーさんのおかげで、自宅での介護はしないで見送りまで過ごすことができた。
実際はバアサンはそれ以前20年近く障碍者認定受けていた父の面倒見ていたし、父も入院慣れしていたので帰宅できない事はあまり気にしていないようだったな。

老健施設で文句言ってる父を怒鳴りつけたら、麻痺しているはずの脚で立ち上がって殴りかかってきたから人間たいていのことは何とかなるもんだと思ったりできたのは妙な経験だった。
特養で、ごはん食べなくなったので来てくださいと言われて見舞ったその日の夜旅立った。その二日前まで将棋指していたとのことで、それほど不幸ではなかったと思う。
彼の愛用の駒と将棋盤は特養に残させていただいたので誰か使ってくれているかもしれない。

いろいろ考えて、龍泉寺の永代供養墓に今はいる。
近いので通るからしょっちゅう行ってるので、同級生の住職にちょこちょこあってる気がする。
龍泉寺に京三製作所さんが建立した観音様がおいでになる。
その背後に積み上げられているのは無縁となった墓石。江戸時代のものから供養されている。200年くらい前のものを見るが、うちのバアサンが今年90と思うとそう昔でもない。
7年などあっという間。100年も長いようでそうでもない。
ヒトのできることはひとりひとりさほどのことはないが、その累計が何かしら変化を生んでいる。
どうとらえるかはそれぞれ次第。

できるだけっていい言葉だ。できるないことはできないしできることはできる、できたことはできる。できなかったことはできない。できるだけ頑張ろう。

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