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秋めいてきてる@鶴見20220822

何とかラジオ体操だん。
先週の衝撃から少しだけ何とかせねばという気力が働きだした気もする。
なぜかそういうと気に限ってマストの予定が入っていたりしてその時は気が紛れているのだが、ややあって時間があると衝撃が頭の中と体の中で反響しておさまりがつかなくなる。自分にできることとできないことを仕分けして、できる可能性のあることを目一杯やる。
人事を尽くして天命を待つということはそういうことなのだろう。

ゴーヤを水遣りだけはしていたがよく見もしないでいたら、いつの間にか身が熟しきってしまった。今年は4つしか収穫していないのに3つも食用にできそうなサイズを見逃したとは残念だった。来年の種が増えると思えばいいのかもしれない。
目に入っていたはずなのにといえば京急旧社宅の解体もいつの間にかほぼ建物なくなっていた。目に入るということと見えているということはい違うものである。

よほど幸運の星のもとにでも生まれない限り、なにか、自分であったり他者であったりとの戦いというか関係性の調整・超克は人にとっては避けがたい。それが生きているということなのだろう。
少なくとも目に入るものをきちんと見て分別し、これ以上の公開をしないように頑張っていこう。

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