見守る@鶴見20250621

キュウリが花を咲かせた。きゅうりの栽培は初めてなので浜ももちろん初めて。
ずっと昔、畑を借りていた時があって南瓜を植えたことがある。鼻は似ている気がしないでもない。
植物は季節が変るとともに育って実をつけてやがて枯れていく。気の遠くなるような長い年月の中できゅうりと南瓜は分かれたのかもしれないし、最近は人の手によってそれぞれ深化させられているのかもしれな。
花をつけて受粉して実を結び種子を残すという基本的なことは本rタイあまり変わらないことなのだろうが、近年はF1種とか当代限りの品種も多いというかそんなのばかりになって、自然の摂理にあっているのかななどとも思う。

かといって自然のままで現状の受容を満たすことができるのかどうかもよく知らない。
何やら種苗法大反対の人たちもいるので何とも言えない事ではある。長年月を必要とする品種改良に対して、知財権の対価を設定することはおかしいとは思わないし、逆にシャインマスカットで知られるように、海外に持ち出されて権利侵害があった場合でも少なくとも国内で禁止されている行為であり、持ち出した人なり組織があったときに備える抑止力にはなるかもしれないなどとは思う。

農業を営む人や組織にとって不利益になる部分は当然あるだろうが、知財権を設定すrることの方が重要な気はする。名産品八その土地と気候抜きにはあり得ないし、産地が違えば種は同じでも違うもののような気もする。○○産コシヒカリとか産地謳うじゃない。

今回のきゅうりがFI種かどうかしらない。そもそもキュウリのタネって確かきゅりの中にそれらしきものはあるが、買ってきた種子も実は食べられるキュウリの中で見ることのできるような半透明の薄いものだったので、どのようなタイミングで蒔けるような趣旨になるのか見当もつかん。

たいていの者や出来事には色々な面がある。
人斑見たいところだけ見るものである。僕は今ベランダで育ったキュウリが見たい。

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