読書するということ@鶴見20230821

猛暑ではあるが何とかラジオ体操は継続中。夕方以降に出かけたほうが体は楽なのだが、予定考えるとそうもいかないのだ。サービス業は人様がどちらかというと休みの時がお仕事なので、人様がお仕事してる時間が割とスローなのである。それが嫌でサービス業去る人も多いのではあるが、割とどこ行ってもすいているのはメリットです。

その暑い公園でカンカン照りの下本読んでる人がいるのですね。
さすがにおっさんは無理ですが、若い人は平気なんでしょうかねえ?

老眼が進んで本を読むことが億劫になってきてはいるが、できる限り本は読むようにしている。
ここ最近話題になった「君たちはどう生きるのか」でふと考えた。といっても僕はジブリ作品ほぼ見たことないし、そういう意味で映画のことが話題になって、原作読んでみようって気になっただけのことである。とりあえず漫画版のほうを読んでみたが、何のことはないおじさんのノートがメインであり、漫画はストーリ―展開での挿絵のようなものだった。その後ポプラ社の文庫版を読んで漫画版がだいぶ端折っていることはわかった。
個人的な見解としては文章で読むべきだと思った。

おそらく人の近くのうち言語に関しての能力は視覚・聴覚そのものの能力よりずっと後に発達して物で情報を受け取ることのできる量は圧倒的に少ないだろう。
何かのマニュアルも動画のほうが簡単にまねできるし、ニュースも動画のほうが感覚的には情報受けとれた気持ちにはなる。
子供が小さいときに大きなポスターの中から一瞬で好きな車を見つけ出したが、視覚とか聴覚はそういうところがあるのだろう。言語ではそうはいかない。「君の好きな車はポスターの右すみのほうの真ん中あたりにある」といっても目の前にポスターがあればまだしも「昨日駅前に貼ってあった」なんて条件つけばもうわからない。

つまり、言語は情報量が少ない分、他の情報を要求するか、さもなければ自分で補わななければいけないのであります。
動画ばかり見て理解したつもりになっている(実際理解できてもいるだろうが)と補う力というか想像力というかが無くなるよなって思ったのであります。

思えば子供のころテレビばかり見ていたらバカになるといわれて育ったが(実際そうなった)人間の能力的には文字情報でのインプット必要なんだろう。
ただしできれば炎天下でなく適度に快適な環境が望ましいが。

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