
なぜか僕としては一応休みの水曜日にバアサンは病院の予約を入れる。主治医がその日なのかもしれないし、送迎してもらいたいからあえてそうしてるのかは聞かないことにしている。
以前はバスで行っていたが、COVID19の時期からリモート診療というか電話で薬出してもらえるようになったこと、いつも通っている老人センターも閉鎖していたことなど重なって、出歩かなくなって、歳も重ねてバスは危険になってしまった。
病院だけは行かなくてはならないので、タクシーをスマホに登録してしばらくは自分で呼んで通っていた。その頃は水曜日じゃなかった気がする。
週に2回のデイケアも、最近は部屋まで車いすで送迎してもらうようになって、4階の部屋からエントランスへ行くのもしんどくなったようだ。
18のときからずっと車がある生活だったが、横浜に戻ってクルマ持たなくなった。家の前の通りタクシー結構通るし、そもそも電車通勤になったので必要なかったのである。
維持費は馬鹿にならんし、必要度合いと考えると欲しいと思ったことなかった。
カーシェアもずいぶん充実してきて、徒歩5分くらいのところで3台くらい使えるクルマがあって、給油も洗車もいらないのだから、そりゃほしくならない。
本当にここ最近で、バアサン送迎必要になったがせいぜい月に一度くらい、カーシェアとタクシーで用は足りている。
今日はそれでなんとなく一日終わったので、送迎もバカにはできないのだが。
自家用車に限らず乗用車は走っている時間は大したことないらしい。
確かにうちのマンションの駐車場も通勤で使っていると思われる車は朝いなくなるけど半分くらいは止まったままである。通勤に使う人も一日乗っているわけではないだろう。
何とももったいない話である。
マンションで共有して小型の電気軽トラでもあれば車の必要性相当減るだろうななどと思ったりする。
未来は今日より何かしら利便性がよくなっていく必要はあるのだろうか。
資本主義社会というか、成長がずっと必要な仕組みというのもなんだかおかしいと思うべきなんじゃないかと、しばらく前から考えている。
人があれこれ考えるより生き物意識しない行動として少子化が進んでいるのそんなところもあるのではないかと思ったり。
今日より明日、ヒトと比べて少しでも良くなりたいと思うことがもしかすると異常なことかもしれない。ヒトも生き物で老いればできなくなることもあるし、いつかは役割を個体としては終えるのだ。
近年そんな考え方も耳目を集めているようだ。どうなるのだろうかね。