
行かないといけないと思いつつ、スッカリ時間がたってしまった、空き家にしている元実家(いまは親が僕の家にいるので元実家、弟たちから見ると僕の家が実家)の雑草処理やってきた。
いつの間にか隣家のおばあさんが亡くなっていて、同居していた息子さんが売却したらしく、投資家にでも売ったのだろうか、玄関にはキーボックスが設置されていて賃貸なのか民泊なのか知らんがとりあえず空き家になっとった。
隣家の庭先の生い茂っていた草は着れに刈られて結構広々見えた。もともとはバラックの長屋が立ってたんだよな~とか思い出す。コンクリの擁壁の下の土地ももしかして隣家の所有かとは思うが、調べてない。そこにも空中に浮かぶ不思議なバラックがあって、鶏とかかってたな。
昭和40年代初めでも、スラムっぽい雰囲気がある場所だったが、建替えたり転居したりで少しはましになった気もする。なんでうちの親父はあんなとこに家建てたのかよくわからん。しかも本籍地はその前の下宿のままだし。
昭和37年にできた家なので、親父もまだ30前だし金はなかったのだろう。その前は生麦で夫婦で下宿みたいなところにいたらしいので早く家が欲しかったんだろうなと今は思う。
笑い話でバアサンがよく言うのだが、賃貸の募集で当時「玄関付き」という言葉があったらしい。
今はもうあまり見かけないが、当時のアパートは玄関は全体で一つでそこに下足入れがあって廊下に面した間貸しみたいな形が多かったのだ。田舎のこちらの常識からすればバカでかい家から嫁に来たバアサンは「玄関」のない家が想像できなくて困ったらしい。
僕が生まれて横浜に帰ってきたときにはできていたらしいので、それに間にわせるというのもあったのかもしれない。当然風呂無し、僕の記憶にはないが水道もなかったらしい。確かに少し行ったところに共同の水道があったが、すでに我が家は使っていなかった。ちなみに電話もカラーテレビもその一角ではうちが一番早かったが、世間では普通に普及してた。
そうそう昔は学校の連絡網というのがあって、個人情報が普通に配られていたっけ。電話に(呼)というのがあってご近所に電話して呼び出してもらうって昭和だよな。
そんな戦後の雰囲気がまだ残っていた場所で、今でも未舗装だし(というか道もはっきりしない)怪しい場所である。立て直していないのはうちと隣のアパートくらいだろうか。アパートは接道してないしどうやって作ったのだかよくわからん。
今は法律もできて空家を放置すると固定資産税3倍になってしまう可能性もあるので雑草だけは片付ける。梅雨の合間はチャンスでありましたが、時すでに遅く雑草じゃなくて木が生えてて焦った。手前の家との間にはもともと樹木が植わっているが、そちらはそちらで巨大化していてまずいと思いつつ中に入ったら、東側の少しの空地に高さ3メートルくらいになった木が生えてるじゃありませんか…。
何とか切ったけど、無理したせいでカナ鋸折れちまった。
70リットルのポリ袋に3つ分ほどの雑草というか木の枝というか回収し、除草剤まき散らしてきた。裏手のジメジメしたところの枯れ草方したらカエルが登場。いったいココはどこ、みたいな気分だよ。
きれいになった方がいいと思う反面、昭和の雰囲気残してていいかなとも思っている。
雑草だけは勘弁だけど。




