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子供のいる街@鶴見20230217

久々に夕方花月園公園で体操。割と暖かだったせいなのか子供たちがたくさんいて賑やかだった。
明日休みのせいかもしれない。
50年前、自分が小学生とかの時期に遊んでいた場所で、また子供が集まって遊んでいるのを見るのは感慨深い。基本的な行動パターンは大して変わらず、男の子は地べたやコンクリの会談に寝そべって何やらカードゲームみたいなのしてるかサッカーしてるか。女の子は群れておしゃべりしてる。
古いマンションに住んでいるし、周辺もそこそこ以前からの住宅地なので高齢化が著しく、マンション71世帯で小学生ゼロとか、地元のケアマネージャーがもう受任できないとか言う環境なので、子供含めて若い世代の存在が感じられるだけでもなんとなくうれしい。

LGBTの件、話題だが、別に気持ち悪いとは思わん。どうも生物学的に性差はそう単純じゃないという方向で深化してるようなのでそういいうケースもあるのかという認識。
よくわからないのは、同性婚を求めたりするのは何でなのか?ということなんだが、婚姻してるかどうかで何が違うのかで思いつくのは、税制や年金、相続の問題なくらいしか思いつかない。
少なくとも、そのカップルには子供は生まれないと思うので、次世代として子供を育てるには、養子を受け入れるか、人工的に何らかの手段で子供を得るか今のところ方法はない。

子供たち見てると、僕には残り少ない「時間」をたくさん持っているし「可能性」も多分あふれている。世の中の役に立ちそうなことは何もしてないが、とりあえず次世代は2人こさえてもらった。生物的には本能でもあろうし、社会的にはある意味義務でもあるかもしれない。それ以上にやっぱりうれしいけどね。

現時点で少数派であるLGBTの方たちは、権利を求めるのはいいのだが、次世代を生み育てるというあたりどう考えてるかなと思う。むろん男女のカップルでも子供がいないケースもたくさんあるし、望んでもなかなかかなわない方々もいるのは承知している。そうした方のうち望んでかなわないでいるケースに対してはガースも尽力してずいぶん医療的なアシストが受けられるようにはなってるらしい。

別の意味で少数であろう、LGBTの人たちが婚姻等で異性カップルと同等にしろよ、みたいな話はちょっと違う面がある気がする。
先進国では、国が旗振って何しようが、個々の人間の繁殖可能な時期なんて限られてるし、子育て環境が経済的社会的に厳しければそりゃ次の世代は先細りになるよ。

子供を産める世代、育てる世代で実際にそうする人に(自分が産むに限らず)負担を軽くする仕組みにしないといけないのはわかり切っていて、じゃその分だれが負担するの?ってのは子育て終わった世代とか子供を育ててない人が応分に負担するしかないよねって話。

同性カップルが子育てするなら現状だと、養子とって控除とかすれば同性カップルと同じになるんだろうけど簡単じゃないだろう。権利は認めるから負担も応分にだと今の仕組みの中で蒸発してしまうのではなかろうか。子供を育てるとことが気持ちも経済もアップするようにすればいいわけで、おそらくそれは、変わってきた社会構造に全体を見まわして変化させなければできないんじゃないかな。
選挙で当選しなきゃいけない政治家にそれができるのか知らんけど。

賑やかなほうがいいけど、賑やかな孤独はつらいよな。
明日も頑張る。

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