15年@震災20260311

東北大震災から15年。犠牲になった方には哀悼の意をささげます。

あの日何してたかというと港区の事務所で仕事というか雑談してんだな。古いビルだからこれはつぶれると思ってデスクの下に潜り込んだ。となりでM君がマーケットで取引していたのは前にも書いたけど、そこまで徹していればすごいことではある。

そのあとなぜか今のお仕事の相方とおでん食べに行ったんだよな。今後の仕事のやり方とか相談されたりして、あれは何だったんのか。
第一京浜は徒歩で帰宅するヒトで大混雑していてもう帰るのあきらめていたけど。食えるうちに何か食っておこうということだったかもしれない。

その間仙台に弟夫婦と嫁さんの実家もあるので、何度も電話したんだが全く通じなかった。一度だけ弟嫁さんにつながって、とりあえず無事ということだけはわかったのだが。東京の自分の子供にも一度だけつながって無事は確認できたが、そのあとはもうどうにもならなかった。

その夜は事務所で待機していた女性陣を車で蒲田あたりまで送ったのだが、それこそ歩いた方が早かった。自分も帰宅できればと思っていたが、多摩川わたるのは無理と判断してまた事務所に戻って段ボール敷いて仮眠した。

今なら、電話も伝言板機能もだいぶ充実したし、そこまで連絡つかないことはないのかもしれないが、それは通信インフラが大丈夫ならという前提。実際にはどうなるかわからないから、大切な人とのコンタクト方法はあらかじめ決めておいた方がいいよなと思っているが、それほど大切な人もいないかなどとも思ったり。なるようにしかならん。

今自宅にはカセットコンロ用のガスを使う発電機も用意しているが使わないで済むのが一番いい。
日本は火山も地震も世界でもまれなほど集中している土地だが、そのリスクを上回るよいところがあるから石器時代から人がいるのだろう。何しろ狩猟採集が主流で、生き残るためにそれ以上を必要とせずに1万年近く縄文の暮らしをしてこれたのだから。

ある意味不自然に増えてしまった人口や僕も含めて食べるものも自給できない社会の方がよほど危機かもしれない。あれからまたずいぶんいろいろなことがあった。生き残っている者にはそれなりの役割があると考えていくしかない。

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