
ヴォルテールじゃないが、どのような見解であっても口にして論証する限りにいおいて、勝手だろう。
例えば普段から僕は民主主義者ではないと公言しているが、だからと言って日本国においては官憲に捕縛されることはないし、またされるべきではないと思う。
もしそれが、現体制を広義における暴力で転覆させても自らの主義主張に沿って実現を図ったとすれば、現体制は暴力で対抗してきても致し方あるまい。
SNSの隆盛に伴って、ヴァーチャル空間という概念が一般化して、そこでの誹謗中傷が、現実においても暴力的な効果をもたらすようになってしまった。
なんでも作用反作用があるわけで、ネットの利便性はもはやそれ以前に戻ることは困難であるレベルになっているから、いかに反作用を抑制しながら利用するかという点が課題なわけだ。
またSNSの情報は動画の場合情報量は多いのだが、受容側としては判断する暇がないか、テキストの場合圧倒的に短く情報量が少ないので、中途半端な判断をしてし合う懸念があり、これもまた今後の課題だろう。
まだまだ規制も緩やかで、妙に匿名性があるような気がしてしまっているので先鋭化したりもしているが、早晩ルールが整っていくのは現状見ても間違いなさそうである。
今のところ課題というより問題として、扇動的な情報の出し方が非常に効果があるということだろう。
いわばスポーツ新聞の見出しであり、週刊誌の社内吊り広告(絶滅危惧種)的な内容がリアクションが最も期待できるということ。さらにWEB上の技術によって自らの履歴に沿った情報が上位に提示されてくるということもおそらく問題点であろう。
テレビが広告によりコンテンツを無償にしたように、ネットコンテンツも広告によって無償で提供されるものが多く、YouTube・Xなどコンテンツ制作者側に経済的インセンティブを与える機能も付加することで、プラットフォームが大きな収益を上げるようになった。
コンテンツは耳目を集めるほどプラットフォームには都合がいいのもあるだろうし、発信側もそれを利用して自らも収益を上げることが難しい技術がなくても簡単になった。
今や製作費を抑えたいテレビ局はネットの拾い物動画で番組制作して3時間埋めるか、電波大安売りしてテレビショッピング流すかみたいな感じにさえなっている。
さて、ここで賢い人は何を考えるか?
初手から対面であればなかなか得られない信頼が、まず耳目を集めるネタでオーディエンスを獲得できれば、あとはネットの中で勝手に熟成してくれるということである。

今日僕はネットでソトのガスライターとうとう買ってしまったのだけれど、きっかけはジッポーの着火があまりよくなくて(安物ののフリント使ってせいなのだが)、どうしようと考えていた時期があって、ジッポー関連見ていてインナーとしてガスと電気とがジッポーからも出ているなぁ→ガスは風邪強い時便利だよな→ジッポーのガスは邪道だけど一つガスライターも欲しいなぁ、タバコのおまけのライター結構持ってるけど調子悪いし→SOTOのミニトーチ結構評判よさそう→Amazonにお祈りという流れなのだが、なんのWEBページ見てもSOTOのライターが目に入るのだからさほど必要性はないのにほしくはなるという、まさに自律的な洗脳システムに自分からドア開けていっているようなものだ。
世の中で関心集めそうなのは何か?
そこから始まってるのかどうかってのは試金石みたいな気がする。
少し落ち着いて考えれば「なんかおかしくね?」と思うことをまともに信じちまうのはなぜなのか。
いまだに商談でも政治でも対面しないと話にならないのはなぜなのか。
対面してもすでに判断がされてしまってからでは修正効きにくいのは間違いない。
またつまらぬものに2000円近く支払うことになって気づくのであります。