母の誕生日に

84歳になった

母が84になった。
1935年生まれ、敗戦の年に10歳である。
会津若松は軍事基地や工場がなかったから空襲にはあっていないらしい。
だから先の戦争というと応仁の乱という京都には及びもつかないが戊辰戦争なのだそうだ。

最近になってよく口にしてるが、やっぱりアメリカは嫌いだということ。
なぜかと言えば敵だったからというが、母の兄2人は召集されて従軍しているものの大陸に出征して無事帰還してるし、敗戦時10歳で直接戦争被害も受けておらず、おそらく当時の教育と情報の記憶が、年齢を重ねるにつれて表層に浮かんできているからなのではないかと思っている。

おととし亡くなった父は1933年生まれでおそらく、学校で軍事教習を受けた最後の方の世代だったと思う。
彼はあまり政治的なことを口にしたことはなかったが、選挙はいつも共産党に入れてた。何かしらの考えはあったのだろうが今となっては知る術もない。

戦争の直接体験はなかったから、むしろ戦後地方から上京して働き始めてからのことが記憶の中で強かったのだろう。
若い時のことはあまりよくわからないが、1954年21歳の時から年金加入記録が残っている。
旧制工業学校卒業して間もなくのころの状況は、まだまだ食べることに精いっぱいだったらしい。よほど嫌な記憶があったのだろうか、亡くなるまでジャガイモはほぼ口にしなかった。
昼めし蒸したサツマイモ2本だったことがあると言っていた。


今日こんなことを書いているのは、イランや香港など日本と関わりの深い地域での物騒な話題が続いているせいかもしれない。

日本は、外交を制限していた江戸時代の方針を変えざるを得なかった、帝国主義の時代において、自国の独立を維持し、さらには帝国主義を実践することによりより強く豊かになろうともがいて、結果自国の帝国主義は潰えた。しかし結果的に(おそらくは時代の流れがそうさせたのだろうが)世界の旧時代的な帝国主義の終焉も先導した形になったと思っている。

日本で薩長藩閥政治が連綿と生き続けるように、世界の帝国主義的な思想が死に絶えたとは思えない。
人は、より豊かに快適に暮らしたいと考えるものだろうし、自分の子孫もそうあってほしいと願うのは生物としては当然のことだ。
今より豊かに快適にという尺度は時間的なものだが、容易にだれかと比べてという相対的な視点に偏移し得る。
同時に限られたリソースを競争で争奪し競争に勝利することによって自らはより豊かに快適になったと感じるのは当然のことだ。
みんなあらゆる意味で平等がいいと考えてしまったら、生物としての人類はここまで繁栄していないに違いない。

母の世代が、日本にとって最後の戦争を知る世代であり、戦前の統制社会を肌身で知る最後の世代になるだろう。

日本が戦争に負けたのは、物理的な問題なのはほぼ間違いないが、当時の世界の標準的な考え方、ラオウではないが「力こそすべて」はやはり全体の利益のためには良くないことなのだとして、その後の世界を変えたのは、勝者である国々が圧倒的な力で裁判の場で糾弾した、自らも含む帝国主義的な発想と行動の否定だと思う。

当時の日本は遅れてきた帝国主義国家であった。
今の中国は遅れてきた資本主義経済国家なのだ。共産主義国家ではもうないのは明白で、単に一党独裁制度だけが残っているだけ。
自由主義経済が正しいとか間違ってるなどということではなく、世界が「そりゃダメだよね」と全面的に否定してほぼコンセンサスが取れている事柄を無頓着に蹂躙しすぎている。

また20世紀の新エネルギー資源石油の力で影響力が強大になった中東諸国もまた遅れてきた資本主義的国家だ。

アメリカは100年ほど時計を巻き戻したような人物を最高権力者に選んでしまったし、ロシアでも新たな王朝が生まれそうな状況だ。

誰もがこの状況で武力によらず、協調していくことを望むと思っているのはおそらくは間違いなのだろう。

母の姿を見ていると、現在の自分たちの恵まれた状況に感謝しつつ、そうあってほしいと希望するのみである。

2019/06/17

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