無責任な態度は許されない

 東日本大震災の政府主催の追悼式安倍ソーリ式辞全文

式辞

 

日本の国土は、なぜか台風や地震の非常に多い場所にある。

 

自然の力が人間の暮らしに大きな影響を与え、時に大きな恵みであったり、時に大きな試練であったりする。

 

日本人の気質ー東西でだいぶ差があるようにも思えるがーは旧石器時代からの自然との対峙によって形成されてきたもので、世界中おそらく同じように、その土地に根差した国民性があるのだろう。

 

不動産の仕事をしていると、もっと小さなエリアの市民性や県民性の差は気づくことが多いし、自然に由来した地名について考えさせられることも多い。

苗字:姓は多く地名に由来するので、人名もまたそのような自然との対峙から派生していると思うと不思議な気もする。

 

かつて、自然の災害は人知の及ばぬもので台風や地震を防ぐことは今でもできない。我々はそうした国土に生きていくうちに、自然災害はある程度仕方がないという考えがどこか奥のほうに刷り込まれているのだろう。

中東の生きていくことそのものが厳しい環境では神様は一人(人というのはおかしいかも)だが、日本では八百万とすべてに神様がいるし「神様仏様」はまあ普通の人はそんなに区別もしない。自然に抗ってもどうしようもない中で、その恵みを最大に受けたいという願望の裏返しなのだと思う。

今の苦しい厳しい状況を脱することができれば、日はまた昇るし何とか生きていける国土があるうえに、島国の為に出ていくのも入ってくるのも容易ではない。

 

ただ厳しいだけの国土に生きるしかない人々の、それもそこから出ることができれば肥沃な土地があることがわかっていながら手に入れることのできない状況における考え方は、我々日本人とはかなり異なるだろうし、日本の状況がむしろ特殊なのだと思う。

 

 

しかし、現在被災地といわれる中には、地震と津波で致し方ない部分と、人為的に防ぐこともできたはずの原発による部分があり、それをないまぜにしたような態度を施政者がとることは無責任だ。

 

今のところエネルギー安全保障面で考えれば原子力は必要だと思うが、福島の原発がなぜ高台をわざわざ削って土地を低くして建設されたのか、またそうであれば津波被害の想定は甘すぎたという反省を持たなければいけない。

 

未だに12万人が避難生活といううちのどれほどの人が人為的不作為がなければ防げたのかについて、施政者は考えなければいけない。

追悼の式辞として、そのことに触れないでやり過ごそうとする態度はいかにおぼっちゃまソーリでも駄目でしょう。

 

何かと「我が国は~」と大上段でお話しするのが好きなくせに、本当は正面突破ができないというのは、安全保障問題の憲法解釈による逃げかたと共通。

 

政治家の世襲を制度的に禁止していかないと先々心もとないと思わせる、ソーリと夫人である。

 

 

 

Follow me!

  購入・売却相談、借地・底地問題、不動産相続、資産活用相談

お問合せは下記ボタンからお願いします。

◇ 初回相談は無料です。

◇ ご相談エリアは東京・神奈川・千葉・埼玉です。

◇ お電話の場合 070-2327-6936
 (受付可能時間 10:00~21:00)

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です