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もの思う季節@鶴見20220911

秋はいろいろに表現される。
「食欲の秋」「収穫の秋」などなど、物理的に考えれば単純に太陽エネルギーの密度が高い季節に、命をつなぐための活度が活性化した結果ですな。
涼しくなって食欲も出てくるというのもおかしな話で、太陽エネルギーを直接自分のエネルギーに変換できないから、主として光合成によって我々が摂取できる状態に変換された太陽エネルギーを効率よく収集できるのが秋なので、食欲もそれに合わせてわいてくるのだろう。
真夏に食欲亢進してたら実前に食っちまうから効率悪い。

生命というかなり合理的にできていて、一つの種、ましてや個体レベルでは不可思議なことでも全体の調和から見ると結構うまくできていたりする。
ここでいう合理性はもっぱら物理で習うような合理性で、ヒトの考える合理性とはなんだか違う気もする。
自分は自分だと認識して思考し行動する能力はある意味屈折した能力な気がする。
ウィルス(生命ではないというが遺伝子を寄生して複製するのだから合理性の塊じゃねえかと思う)は認識するとか関係ないと思う。
よくウィルスの意志での選択みたいなことが言われるけどそんなものはないと思ってる。

人が他の生命と異なるのは多分、認識して行動に移す際に恣意的(と自分では考えている)内容がより多いことかもしれない。
では、眼も口もなくまして手足も脳もないウィルスと人と本質的な部分で何が違うのか。
遺伝子のキャリアとしてはさほど変わらない。

138億年もかけて生命も含めて多種多様なものが生成されているが我々全体から見れば全く何もわかっていないのと同じくらいの存在。
100年で長寿、今までの我々が考える世界の始まりからすれば0.0000007%、身長170cmの人の同じ割合は1.2㎛かな。
考えても仕方がない側面はあるもののリレーのメンバーであるのは間違いなので考えるしかないのだ。

いろいろ思うこと多すぎる日々であります。

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