
今日はお寺へ行く日なので、僕は生協で花買って行ってきた。住職にあって施餓鬼のご供養のお願い。
諸物価高騰の折ということで今年からお塔婆一基で金6,000円であります。
お寺が維持できるようにしてもらうのが一番なので全然かまわない。むしろ無理してないか心配にすらなる。
お寺自体は室町時代からのようだが、さほど大きなお寺とは言えない規模。昔は相当な規模だったようだが明治に一度荒廃したらしいし、墓所もっさほど広くはないのに、施餓鬼供養は割と盛大だと思ってる。ほか知らんけど。お坊さん20人くらい来るし。
月命日に必ず行くのは、バアサンがもういけないというから言うのが大きいのだが、そのバアサンは本日は弟君が卒寿のお祝いお食事会ということで、拉致されて行っており不在。まあいいか。
末弟からはおかしとお祝いのお小遣い届くし、次弟はすき焼き御馳走して、嫁さんからなんか洋服プレゼントされて、卒寿の名入りカステラに小川軒のお菓子までもらってご満悦。
そのせいか晩飯食えないと…胸いっぱいというより腹いっぱいなのだろう。
僕は毎日お世話してるから、特に何もしないが、誕生日にはケーキと寿司ぐらい買ってくるかなどと思っている。
90年というのは戦前であります。電話も身近にはなく、テレビは存在しておらず、鬼畜米英の時代である。そんな人が今はスマホで写真撮ったり電話したりしているのだから、激変と言っていいだろう。
加速度的な変化を感じるのは昔を知っているからで、鼻から高速で動いていると加速度の感覚はずいぶんと違うのだろうな。
お寺で時がとまった時間すごすと、何がいいことなのかよくわからなくなる。
殺し合いのない世界は来ないのだろうかね。