
今年もあっという間に大晦日であります。
いいこともあれば悪いこともあり、ともかく生きているのでまあまあなのだと思っている。
来年は今の家に移って20年、横浜に戻って23年であります。もしかすると今の家が人生で一番長く住んでいることになってるのかと改めて思う。
古いけれど眺めはいいし、そこそこ悪くないと思っている。埼玉での住まいが前に建物があって眺望がなかったから、マンションで重要なのは眺望と日当たりかなと感じさせらる住まいであります。
亡父から引き継いだ小さな古い家は何とかしなくてはと思いつつもう20年空き家にしてしまっている。
土地というものは注意しないといけないと思わせられる立地でどうしようもないというかどうしようかって状態である。あまり価値はないのに固定資産税はしっかりかかる、そのうえ中途半端な擁壁の上に乗っかっているし道もないので解体するわけにもいかない。
それでもマンションの持分と合わせて2代目でようやく100㎡の土地を保有していることになる。
もちろん父の実家は農家なので今でも1町5反ぐらいの土地はあるのだろうが、意味が違う。
高度成長期以前から首都圏で、住んでいたり、農地解放で自作農になったりいして、土地を取得することにコストのかかっていない層と、そうではない層とでは現在ではだいぶ感覚が違うのではないかと思っている。
昨年もはじめてに近いような面積の謄本を見る機会があったが、その資産価値はびっくりするくらい単価が低い。それこそひと山売っても都心のマンション一部屋購入も難しい。
アメリカで喧伝される格差は世界でも日本でも同じことで、結局利用価値のある土地をどれだけ保有しているか、不動産鑑定的いえば、ヒト・カネ・土地が経済の構成要素なんだが、ヒトとカネの偏在が土地所有の偏在とリンクしていて、資本主義の限界みたいな気がしている。
どこぞの独自社会主義でも土地の利用権ですら私有化したら暴走したのはまだまだ生々しい。
その一方で利用できない土地も次第に増えているようで、ヒトはますます狭い場所で取り合いをするようになるのかもしれない。
実態はよく知らんが、ロシアの永久凍土の融解はひょっとするとウクライナ侵攻への動機のような気もするし、中共の拡大政策は内陸部の砂漠化と関係してるのではないかとも思ったりしている。
中東の問題はある程度人為的な要素はあるとしても、結局土地をめぐる問題ととらえることもできるかもしれない。
ヒトも動物だし、自分の縄張りが必要なのだろう。
たいていの場合、強いものがルールを決めてより強くなるが、そこでは相手を絶滅させると自らも危ういという知恵は働いているようだ。
強いものがいつまでも強いということはないというのは経験的にはわかっているが、今どこにいるかというのはわからない。不確定性原理じゃん!ということでヒトも量子と同じなのであります。
影絵の世界をもう少し過ごすことになる一年がまた始まるのであります。




