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変わらないと思うこと@鶴見20240203

絵日記つけてると思うけど毎日変わり映えしないんだよね、この歳になると。
お仕事でも、自分のやっていることでも、ある程度繰り返しになって、特別な日はあまりない。
やらなくてはいけないということでやっているので、中にはおざなりに流していることもある。
毎日富士山見てれば山はそこにあるし、坂道が坂でなくなるわけでもない。

それでもお寺にいくときは気持ちが動いている。自分にとっての貴重な振り返りの時間になる。
家の仏壇や神棚拝むのとは異なる気持ちになるのは、多分それが僕にとっては基本的には過去の倉庫を覗く時間みたいなものだからだろう。
仏教の教えはお弔いだけと違うと思う。いつも行く龍泉寺のご本尊は不動明王なので、多分現世で戦う気持ちを願う、あるいは自ら引き出すことを祈念する人もいるのだろう。
幼いころ走って通っていた階段の坂道の隣は、龍泉寺とかいう前にそこはお墓であったから、大人になって恐怖心はなくなったとしても、過去の世界のイメージがあるのかもしれない。

未来について考えるより過去のことを考えることがふえる年齢なのだ。

過去のことは変わらない。未来は変えることができるといわれている。
山は変わらないと思っていてもやがて崩れてしまうものだし、長い時間の中で定常なものなど何もないのではなかと考える。

時間は生命が秩序を維持しようとするから発生する概念だ、などという説も本で読んだ。
物理・とりわけ量子力学の世界では時間の概念は存在しないとすれば、変えられると思っている未来とは何か?などとも思う。

なんだか今日はそんな日なのは節分だからか?明日から春であります。

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