
なんでも動画の世の中であります。
カラダがどこか痛いというと情報検索して、奇跡の治療法にたどり着いて大枚払う人がいる。
あるいは、政治家が言う歴史問題や経済問題を動画で解説見たりで情報収集して判断している人もいる。
街頭演説すべて見たので考え方は全部わかっているなんていう人もいるしね。聞いたら基本綱領も読んではいないようだ。
お仕事でいえば、「とにかく会って話せばわかる」というのが昔から嫌いである。
人間の五感というのは想像を絶する量の情報を受け止めている。例えばだが、直接会って必死になって商談を纏めようとしている営業マンがいて、その汗や鼓動・息遣いは冷静に効いていてもどこかで感じてしまっているわけだ。たいていの人は熱意とか感じてしまうので、営業マンはとにかく会いたがるわのである。汗臭いとかじゃなくて熱意を感じさせるために。
僕はそれが嫌いなのである。
何かしら必要性があって(大した理由はない場合もあるけど全く不要なものは対価払って入手しようとする人は少ないだろう)何かを買ったり借りたりするときに、売り手の熱意って本当は関係ない。不動産でいえばだからクーリングオフがある。
動画というのは膨大な情報量があるので、人の認知能力的に過剰なのだ。
それゆえ何かの「やり方」を調べるときなどはとても役に立つ。繰り返し何度もみて模倣することにより気づきもあるだろう。テキストだけの取説よりイラストあったほうがわかりやすいし、最近は動画の取説も多い。
動画よりイラストは情報量少なく、テキストだけであればもっと少ない。
文字が発明されて以降、会わずに意思疎通ができるようになり、今はそれが直接会ってもいないのに話せるし、ビデオチャットとか言って顔見ながら話せる。つまり機械の進歩によって会わずに意思疎通ができる点で人間の負荷はどんどん減少している。あたかも直接会っているように意思疎通できるのだから。
情報を受け止める側の立場では便利になったくらいの感覚かもしれないが、送りる側からしたらこんなに便利なものはない。ある意味やりたい放題である。そういう意味で会って商談纏めた武勇伝聞いているとそんなの当たり前じゃんとあきれるのだ。
あえて文字情報にはこだわりたいみたいなところがある。
テレビで松尾教授が言っていたが、AIは単に次の言葉を予測しているだけであって、人間の思考とか意志もそれだけと考えている的なこと言ってた。
肉体の感覚に属することも膨大な言葉の積み上げでいずれはAIが認識可能になるみたいなハナシも含めて。
そんな大げさな話じゃなく単に図書館の利用方法がへたくそなおかげでここ2種間で6冊ほど読了しないといけない。老眼の進んだおっさんが仕事の合間に読むにはつらいので、仕事をおろそかにするしかないかも、という夜である。




