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あの戦争は何だったのか 保阪正康

このところCOVID19感染症のことは「戦い」と表現されることがおおい。
目に見えないウィルス相手の戦いも、巨大な兵器を用いた人間同士の戦いも戦争と言えばそうかもしれない。

保坂氏最近は最後のご奉公みたいな立ち位置での発言が目立つような印象があるが、この本は結構時間が経っている。
2005年出版の新書だから事実認定とかはまあごめんなさいという範囲でしかないような気がする。
著者65歳の思うところの「あの戦争」論だと思って読むのが正しかろう。

自分から見れば父母より5~6歳下の年齢で地方にいた様子。会津若松にいた両親のうち父は軍事教練があったようだが新制高校卒の母は戦争で何か変わったことがあったような話はしない。
せいぜい兄弟が徴兵されて南方と大陸とに行って、南方から帰った兄はがりがりに痩せて帰り、大陸からの兄は丸々太って帰ったというようなたわいない話しかない。
会津は国内的には交通の要衝であるが軍事施設はなく空襲もほぼなかったとのこと。農家なので食べ物に困ったこともなかった母と、戦後横浜に来てろくな食べものがない都会で仕事してた父とでは戦争に対する思いも違っていたようだ。

軍令や軍政の分離や、東条英機が分離すべきものを束ねたことを問題にしてるわけでもなく、海軍が開戦を欲したということも確証があっての話ではなく、著者が調べた範囲と印象ではそうであろうという伏線があって、実は論じたいのは意思決定に至る内部の過程と、外部要因との調整・あるいは折衝の事なのかと思われた。

開戦に至る過程で多くの国民は反対どころかむしろカタルシスを感じていたらしいこと。その前段階として暴力による恐怖が意思決定の中心部を担う人たちに存在したこと。世界の影響を受けての不景気と貧困の問題。
どことなく時代の雰囲気は似ている気がする。
経済は悪くない人にとっては悪くなく、物理的な暴力は少なくとも国内では否定的で、まるで違うと思われかもしれないが、悪い人から見ると救いようがない位経済悪い、言語やSNSによる暴力は物理的な物より激しいかもしれない。
何より、明治維新から60年から70年という状況と敗戦から同じような期間が経ったことが共通で、この間に起こったことは「人」が変ったことだ。

少なくとも著者は「遅れてきた」世代である認識を持っているように感じる
せめてわかる範囲で同じ過ちで皆が苦労することはないように、とでも言いたげな文章だった。

残念なことに出版から17年、著者も完全に老境に入って危惧した事態が訪れている。
今はまだウィルスが相手だから救いもあるが、兵器をもって人が攻めてきたらどうなるのか。
杞憂では終わりそうにもないことは、ウィルス相手の戦いでも露呈している。

現状に至る補助線は160年前にひかれていたと思っているが、生きてるうちに答えにたどり着けるだろうか、などと感じさせる著書でありました。
何時かったか忘れたが書棚にあった。
読むタイミングとしては啓示的だった気がする。
2021/07/29

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