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少しのんびり気分@鶴見20231213

いわゆる「忘年会」的なことを昨日やってなんとなく落ち着いたというか吹っ切れたというかそんな感じであります。
去年まで2年ほど時間拘束はあったけれどそれなりに数字にはなる販売代理やって、むしゃくしゃしてはいたが、個人的には助かった面があった。今年は時間的な制約があまりない状態になれたので大事な時間を確保することができた。数字の面ではその分満足いくものではないけれど。
簡単に落ち着けるわけはないが、少しずつ受け入れていくしかないのだろう。
まさに人間万事塞翁が馬だったなと振り返れた気がする。

毎日が平凡に過ごせることは実はとてもすごく大変で大事なことなのだ。

毎日空を見上げて富士山見ても、そこにミサイル飛んでないかとか戦闘機いないかとか気にしないでいいし、とりあえず食べるものも飲むものも通信も移動も自由だ。思想信条によって身体的な拘束を不当に受けることもない。
不公平やら不平等やら、悪い奴がいるとかあるけれど何とか生きていけている。
若いころはそれが当たり前で生まれて育つので不満ばかり目につくし、そこから改善してよりよくしようと思う気持ちが世の中進めていく力になる。おっさんになるとそれなりにいいところや先人の努力などもしみじみ感じるし悪いところばかりじゃないと思うようになる。
あまりに順応してうまくいったおっさんがいつまでも力を離さないと、単純に改善・変革する若い世代の力をそぐことになるってのは自明のこと。
おっさんはそこそこで若い力に委ねていかねばならんのよね。

日本は貧乏になった、と最近よく聞くが、いまだに純債権国だししばらくは食っていけるだろう。
貧乏になり始めたポストバブル世代がこれからの主力の世代になる。70過ぎて権力にしがみついて老害としか思えない行動言動をするえらい人たちは時を知るべきだ。
世界でもヘゲモニーの変革の時期に入っているようだし、昭和は遠くなりにけりなのだ。
うまく平成を乗り切って食うに困らなければ余計な口だしせず、自分の子孫「だけ」に美田を残すなど考えず、すべての人に恩返ししながらのんびり余生を過ごしてほしいものであります。

うまく乗り切れなかった僕は、明日からまだやらなければなりませんが。

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