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「肩をすくめるアトラス」 アイン・ランド 脇坂あゆみ(訳)

さて、読み終わってしばらくたってしまったのだが、何か書いておこないと忘れてしまいそうなのでメモしておく。

日本に生まれて日本語を話しているので多分僕の考え方は日本人の普通のものだと思っている。
それは、この国は多分2世紀くらいに大陸から大量に避難してきた人たちと、それ以前に流れ着いて暮らしてきた人たちの争いめいたことがあって以降20世紀まで侵略されたことがなし世界でもまれな歴史に裏付けられたものだと勝手に思っている。
ある意味原始的な社会構造として血族の維持という生き物本能とそれに伴う祖先崇拝が基盤にあって、そこに外来の様々な宗教や哲学が流入しても、いつの間にか保守本流的な思考と融合させてしまって大きな変革が起こらないようにしてきたと思える。
権力者の在り方としては、気候変動による飢餓が遠因となって変動はあっても、精神的にはあまり変容しなかったのは、多分辺鄙な場所で侵略されなかったからだろう。
尤も20世紀の資本主義的な闘争では新参者として参入しようとして手ひどくやられ、占領されだいぶ意識改革を迫られたが、結局たいして変革は起きていない。占領者の方がそれどころじゃなくなったという事情が大きい。

で、本書だが、かの国は基本的に難民の作った国であり、様々な場所で迫害にあったり、無理やり連れてこられたり、と事情は様々であっても、流れついて(いや意識的にかもしれないけれど)安穏と暮らして国家を打ち立てようなんて意識はさほどない自然条件で出来上がった我が国とは成り立ちが違うのと思っている。どちらかというと我々はかの国におけるネイティブアメリカンなのである。

ランドの考え方が現代アメリカ人の記憶の底にあるとしたら、それは我々にとって因幡の白兎とか、ヤマタノオロチみたいなレベルなのかもしれない。なにものかよく理解していないけれど刷り込まれた記憶みたいなもの。人が何かを判断するときにそっと作用するなにものか。
ロシアからアメリカに移ってそこで見た現実とそれ以前の体験が生み出した現実理解の言葉化とでもいうべきか。

思想や宗教といったヒトを縛るあるいは結びつけるものに、迫害され追いやられる個人体験から発生する反感が形作る思考方法を、潜在的に刷り込まれた(あるいは刷り込んだ)人たちの国家であるという認識を持たないといけないのだろう。
内容の是非はともかく、もっと広く若い人読まれてもいいのではないかなどと感じる本であります。

☆3

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