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まちまちだな@鶴見大井町20240404

毎年同じ場所からお隣のお屋敷のサクラ楽しみにしてる。
坂を下るところから見える部分と、裏手の車庫の側から見えるサクラと両方勝手に楽しませてもらっている。この辺りが別荘地だったころの名残のような大きな敷地のお宅である。
この坂のあたりはそれなりに風情があって貝之助坂がそれなりに機能していたころに、その脇道的に造成された感じが残っている。かなり風化してきた大谷石の高い擁壁がありその上は僕の住んでいるところあたりで、僕が知っている昭和40年ころは社宅だらけだった場所なのだ。その後払い下げられたりマンションになったりで結局そこに住んでいる。
きれいに整備できなかったのは貝之助坂から龍泉寺墓地にかけての急斜面に面したところ。僕が幼いころ崩れた崖で遊んでいた旧称クズレ山のあたりなんだろう、実家はそこに空き家として僕のDIYによる復旧を待っている。

それはともかくその貝之助坂から多分大正昭和にかけて作られた大きな造成地の一角が解体されてしまった。代替わりでもあったろうか。解体してみるとやはりとても広い土地であるが、風情のある木造のお宅が建っているのが子供のころからの風景なので何となく寂しい気もする。
冒頭の写真の向かって右下に当たる場所だ。

貝之助も今は花月園競輪場のときから通り抜けできるようにはなっていなかったので、むしろ脇の新しい坂道の方が、東寺尾方面へのルートになっていて、坂の北側は行き止まりだった。おそらく明治維新より前は東福寺の境内地と言っていいような場所だったのかもしれない。
かつてこの辺りで最初の学校ができたあたりも今の花月園公園も東福寺の境内だったらしい。総持寺ができたのはずっと後で確か大正時代なので、最大の寺院だったのだろうが、おそらく廃仏毀釈の波に押されて今のような状態になったのだろうと勝手に思っている。

鶴見は坂が多くてそのために道が整備されていないのに、住宅がびっしりになり、曲がりくねった階段のような位置がたくさん残っている。車で通ることを前提にすると、そのような急斜面を通すことはできないので、ヒトの歩いていた道とは相当変わっていることが、身近にみられるので面白い。自分の脚で歩かないと見えないものがあるのだな。
アイキャッチの写真は大井町の西口少しのところの公園のものだが、これはこれできれいなのだ。
咲いている花はこちらの方がずっと多かった。
様々なところにサクラは植樹されていて、一斉に開花するのは美しい。
来週は見ごろになればお花見する予定。こんな世界情勢でも日本は裏金問題延々とやっていて、頭の中はお花畑のようだ。サクラが終わるころ、宗主国に岸田ソーリ挨拶に行くらしいが、失言は答弁書読むだけなので今のところにけれど、おかしなこびへつらいしないで来てほしいな。

天気のせいかあちこちとまちまちの開花の気もする。違っているけれどそれもまたいいかな。

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